日記

日記ではないかもしれないツイッターの凝縮

元気に発狂する人

元気な発狂という言葉がある。本当はない。昨日私が気圧とストレスでどうにもならないときに作った造語だ。この概念をなかなか理解してもらえないのが辛いのでこれを書く。

そもそも発狂でパワーが無いものがあるのかという話だが、一旦それは置こう。元気な発狂というのは文字通り、元気に発狂してしまうことだ。
人間皆、特に思春期は唐突な理由のない不安に襲われやすいらしい。倫理の教科書でそう読んだ。不安になると言えば涙を流したり動悸に怯えたりだとか、普通はそのような行動を取るのだろう。私も取る。何もできなくなって天井を見つめて休日丸2日を潰したりする。というか毎週週末に対する期待が大きすぎて(揮発性メモリなのですぐ感情面でも事実でも記憶が無くなる)毎週末は大体泣いて過ごす。
だが、原因は何なのかは知らないが、落ち込んでいるしどうしようもないのがわかっているにも関わらず、止まることもできずに叫びたくなってしまうときがある。大雨の中傘をささず喚きながら走りたくなる感覚といえば少しは伝わるだろうか。エスタロンモカなどのカフェイン剤を飲んだときに似ているが、カフェインを入れたときは物事に対する集中力と人生への希望が湧いてくる。元気な発狂はどこまでも自分は駄目だという絶望ともうおしまいだという漠然とした感覚に襲われ続けるだけなので文章すらまともに打てない。人間として完全に終わっている。あと大体手が震えてるからすごくタイプミスをする。
ただ、傍から見たら泣いて突っ伏している人よりは遥かに元気なのである。というか普通の人よりめちゃくちゃ元気で楽しそうなのだ。客観的に見てそう思われてるだろうなというのは発狂している私にもわかる。実際はとても辛い。内側から溢れるやり場のないエネルギーに殺されそうになる。少しでも楽になるために踊ったり話し続けているだけなのだがまあ理解はされない。
私は弱い人間なので何かあったときすぐ今しんどいということをそのまま口に出してしまうのだが、たいてい返ってくる言葉は辛い人間が言われたくないたぐいのものばかりである。更に辛い。言わないようにしてもこの記憶や勝手な推測が蘇ってきて辛い。このあたりは人間は感覚を共有できないということを踏まえてこっちが頑張るしかない。

これは時間経過で治まったりしない(し、そもそもそんなまともな思考でいられない)ので薬を飲んだり自傷したりして終わらせるしかない。それに対してもまた自分のこと可愛そうだと思っているなどの反応が来るがここも頑張るしかない。駄目になったときにやられる言葉をかけられるか辛い状態からまともになるかの二択だったら後者を選ぶ。自傷もODも体には悪いがしばらくはむしろ普段よりもまともでいられるので短絡的に見るとお得感がある。

まともになったあとしばらくは何であんなことをしたんだという虚無感と時間を無駄にしたという後悔が付きまとう。最初の方にきっかけがわからないと書いたが追い詰められてるときになりがちな気がするのでまあ計画性と強さのない自分が悪いなとは思う。しかし毎回これになるのも困るのでいい感じに解決できるようになりたいなと常に思っている。行動しないし相談もできないから何も変わらない。