日記

日記ではないかもしれないツイッターの凝縮

救われたい

救われたいのだ。どうにかこの状態から抜け出して楽になりたい。先のことなんて一切考えずに何もかも放り出して絶対的なものに守護されて存在していたい。もうそれが無理なら存在していなくていい。そんな思いが日に日に増していく。


前回(たぶんスキルマだと思う)で親の話はもうしないと言ったが掌を回転させるのが特技なので親の話をする。やはり親とは決定的にソリが合わないのだということをここ一ヶ月で痛いほど思い知った。都合の悪いことは忘れられず数年後にいきなり記憶の表層に浮上していつまでも罪悪感と後悔を刺激してくるがその代わり存在を忘れやすいので、やはり今回も忘れていた。失敗だった。意思の疎通なんてできたものではない。私は親が苦手だし、もっと言い切ってしまえば人間として嫌いなのだと思う。


人間嫌いなもの、無理なものから逃げることは悪だと言われがちであるが私はそうだと思っていない。自分が他人に頼るのが嫌いだからそのような弱音を上げるのはよっぽど弱っている時だけで、世間一般もそうだという考えが染みついているからだろうと思う。これは最近ずれていると気づいたが治らないので一生向き合うしかない。人間無理なものからは逃げていいし別の道から進めばいい、そんな珍しいくらい(発生がネガティブだとしても)ポジティブな考えだと思う。


だが変に強情で自分が正義だと信じているわりには世間の目に弱かった。家族が仲が良いのは当然だし嫌いになるのは間違っているし馴染めないのも間違っている、両親は社会的地位のある人たちだからおかしいのは自分だという考えに延々と取り憑かれて苦しんでいた。どうしようもなくて休日は泣いて過ごし眠剤を飲んでやり過ごしたりしていたが最近眠剤を取られまた泣いた。


救われたい!という思いで頭がぐちゃぐちゃになった。冒頭に書いたようなことがそのまま頭の中を回る。楽になりたい。一人でいるか赤子みたいに囲われて過ごすか、今の矛盾した指示の中で日々生活するのがとにかくしんどかったし全てを他人のせいにしている自分も嫌だったしその変な自己嫌悪のせいで何もできず呻いて時間を無駄にしている状況が辛かった。楽になりたい。

救われたいし楽になりたいし許されたいけどどうにもならない。そんなメンタルの中受験生として一ヶ月半を食い潰した。それが更に辛かった。


許されたいという感情、当然周りの人間しいては世界に生きていることを許可されたいという想いなのだが生きていくのにそんなものはいらない。自分を許していないのは自分なのだ、ということは薄々知っていた。知っていたけどやはり許さないし許されたくて泣いた。


こんな状況になってしまったのは自分の選択の結果もあるが周りの影響と元々の頭の出来があってそれを全て他人のせい自分のせいとしても仕方がない。適度に反省して適度に周りのせいにして生きていくのが正解なのだ。というかこの正解とか不正解とかいう考え方が一番駄目だと思う。自分の視界が真正面だけになってしまうので良くない。


自分のことは許せないけど許さない限りずっと苦しいからその苦しんでいること自体を馬鹿にして殴り続けるのはもうやめる。もう何年後何ヶ月後、これがただの思春期の暴走に見えても黒歴史になっても良い。他人から見たらいくら馬鹿みたいなことだろうと私が今苦しくて辛いというのは今の私にとって真実だからもう良い。同じように他人に自分との感覚価値観を共有できるという思い込みももうやめる、やめられないだろうけど意識してしないようにする。全人類辛いけど頑張ってるしそれは他人が決めて何も言えたことじゃないから自分で自分を甘やかすしかない。