日記

日記ではないかもしれないツイッターの凝縮

抱負

"平成最後"なんて都合の良くて軽々しいフレーズに乗れた人間にも乗れなかった人間にも平等に時間は流れる訳で、気がつけば2018年も残すところあと3日になってしまった。平成最後の夏とか平成最後のクリスマスとか高校三年の夏とか人生最初の大学受験とか、ある人にとっては重大だけどほぼすべての人にとってはありきたりで、人に話せば「そうなんだ」で流されるようなイベントを過ごしたり過ごさなかったりした一年だった。

高校生活最後で平成最後なんて当事者以外は文句なしに「エモい!」と叫んでしまうような今年、全てを無駄にしていた。夏休みはクーラーで頭が狂って災害レベルの暑さの中、死と物理的に近づかないと勉強ができなかったし、二学期は自分の今までから徹底的に目を逸らし続けた結果まともな生活すらできずに薬に頼っていた。薬局で買える合法薬物で二倍の楽しさを前借りしたがやめたら死にたさが二乗になった。最悪だ。
白状すると、合格する自信が全くない。ツイッター的表現を使っていいならまっっっっっっったくない。なんせ模試の結果は散々で順調に右肩下がり、センタープレでもE判定、おまけに冬休みに入ってからのリズムの崩れ方がひどい。あとまた薬に手を出した上親にバレて途中で捨てられた。本当に親不孝で最悪!

大学に合格できないとまあ普通は拒否したくなる結末にまっしぐらなことを決めてしまったので頑張るしかないが、そもそも生きるのが半分くらい嫌になっていなかったらこんな馬鹿な決断をしないのでやる気は出ない。というか大学合格しても絶対避けたいけど絶対発生するイベントが私には一つある。(個人的なことなのでここには書きません)絶対避けたいと叫ぶくらいには嫌なのだが、まあそれを避けるための努力を怠ってしまったので、もういまさらどうにもならないことも知っている。嫌だなぁ……。
大学受験で人生が100%決まるわけではないと人は励ましのように言うけれど、それは自己肯定感とか自己評価とか思考とか、そういうちゃんとしてる人に対してしか言えないと思う。そもそも前提からしておかしかったり、思考がまともじゃなかったりする社会不適合者はそのまま終わりになるか終わりと思い込んでしまい自ら終わりに突っ込んでいく。突っ込むしかない。
生きていいと他人から言われないと満足できないけれど他人から言われても信用できないような社会不適合者は学歴や賞、そういう目に見えて自分中で価値があって、なおかつ社会でも一定の評価を得られてるものにしがみついて生きていくしかない。けれどそもそも社会不適合者がそれを得られるまでの過程に耐えられるかというと答えはNOに近い。今のは主語を大きくした。"私は"できなかったしやらなかった。
何度か病院に行く選択をする機会はあったけどそのたびに嘘をつき、その機会を全部棒に振った。自分が通院に耐えられる人間だとは思わないし、もし何もなかったときのことを考えると恐ろしくて落ち込んでしまうから病院に行かなかったこと自体は後悔していない。していないけどもし病院に行っていたらということは時々考える。
今までの短い人生(こんな大袈裟な言葉使いたくない…)の中で何度も同じようなことを考えた。せっかく与えらていて選択する余裕も十分あったのに頭ごなしに否定して逃げた、もしかしたらあったかもしれない出来事についての事柄を。(文章下手だから倒置になっちゃった……)その妄想の中では選ばなかった選択をすることで大体が上手く行っていた。テストじゃないんだから二択で不正解を選択したらもう片方が正解なんて道理はないし、これがただの都合の良い妄想だということも十分にわかっている。『選択肢を間違えたから自分はこんなに落ちぶれているだけで本来ならもっとできる』なんて浅い考えのもとせめてもの慰めにしているだけだ。化粧してもブスだって現実を見るなら化粧しないまま後ろ指を指された方が楽!
他人に否定されたくなくて自分だけが可愛くて努力はしたくなくて一人前に幸せにはなりたいので未来の自分から否定されることすら逃げ出してしまう。将来正解を選んで今追い詰められて悩んで後悔して死にたいと思うこと全部を若気の至りと恥ずかしげに笑うようになるのなら今すぐに死んでほしい。例え私でも許さないし許せないし許したくない。努力も実力もないくせにプライドだけが度を越して成長した結果こうなってしまった。自己評価が歪んでて良いことなんて一つもない。
結局死にたくなるのもこれのせいだ。実力とあまりに乖離した自己評価だから現実に目を向けるとなんとしてでも逃げようとする。わかっていたけど変わらなかったので恐らく一生このままだと思う。完全に盲目のまま威張ることも改めることもできないのならいっそ無にしたほうがいい。私に使う金は留学する妹にでも使ってほしい。
ただ私は悲しいことにプライドが高いので、受験のストレスで死んだ、なんて凡人ぽいことは絶対思われたくない。馬鹿みたいに高いプライドのお陰で虚勢と共に人間の形を保てている。最後まで自信満々でやり切って終わらせてから死にたい。凡人だと思われたくない、よりは多分本当の自分をわかってほしい、なんていう自意識の肥大化して思春期特有の願望が根底にはあるのだと思う。それこそ凡人だと思うけど自分のことも他人のこともわからないのが人間だから仕方がない。絶対笑って死んでやる。